locoの1日1happy☆

4歳と1歳の元気な姉妹を子育て中。日々の些細なできごとから、小さなhappyを見つけていきたいです。

妊娠41週1日、陣痛促進剤開始→激痛

妊娠41週1日、昨日バルーンが入らないまま

病院で一夜を過ごしました。

6時に起床、8時に朝ごはんを食べた後、

9時前頃に呼ばれて、陣痛室へ。

お箸とコップを持ってきて、ということで、

今日1日陣痛室で過ごすんだな~と察知。

この時はまだ陣痛の痛さを軽く見ていた

のですが。。


陣痛室の一角で、陣痛促進剤の点滴を開始。

NSTのモニターをつけながら、助産師さんが

30分ごとに流量をあげていきますね~と。

たしか、最初は12ml/hからスタートしたような

気がします。

12ml、24ml、36ml とあがっていきますが、

お腹は少し張る程度。

全く痛くはないですが、それなりに大きな

張りがたまに出ているのがNSTでわかります。

それでも、専門家的にはまだまだのようで、

「今日は産まれないね~」と助産師さんから

言われ、旦那さんが立合いする予定でしたが、

「ご主人は今日は安心して仕事してて大丈夫」

とも言われていました。


その後、担当の先生も様子を見にきましたが、

「今日は難しいかなぁ」と。

「とりあえず、出来るところまで今日やって

みましょう」ということで、その後も流量は

上がっていきました。


12時になり、助産師さんが来て「モニターは

1時間お休みしますね」と、はずしてくれました。

そして「今日は無理そうだねぇ。産まれる人は

この時点で、陣痛こんなもんじゃないから」

「明日のために今日は(促進剤を)入れておこうね~」

と、まったく、兆しがない様子。


そして、点滴の流量は60ml/hになり、NST

なしで、お昼ごはんになりました。

お昼はスパゲティーミートソース。

こちらの病院のごはんは、正直、美味しいとは

なかなか言えないものが多かったですが、

この時のお昼は普通に美味しかったです。


そして、お昼ごはんを食べている時、たまに

なかなかの激痛が来ましたが、陣痛はこんな

ものじゃないのか、、と思い、痛いときは

ちょっと休憩しながら、ごはんを完食(笑)

旦那さんにも母にも今日は産まれないみたい、

とメールをしてました。


そして、1時間後、NST再開。

モニターになかなか大きな張りの山が2~3分

置きに表れます。

妊娠してから初めて見る、張りの山型曲線の

オンパレード。

こういうのが張りっていうんだな~と、

痛みはありながらも、モニターから出てくる

紙を見ている余裕もありました。


30分後、助産師さんが来て内診することに。

でも、子宮口はあまり開いていないみたいで、

たしか2センチって言われたような。

「これはニセの陣痛だから。本当の陣痛は

人格変わるからね」と言われ、さらに流量を

あげて、点滴継続へ。


この頃は、お腹は結構痛くて、15時頃に

面会に来る予定の母から梨を食べるかと

メールで聞かれて、今日は痛くて無理です、

と返していました。


さらに時間が経ち、14時半頃、相当な激痛に

なってきました。

我慢しようにも、声が出てしまうくらい。

助産師さんが来て、本格的な陣痛になって

きたねぇ、と。

あまりに痛くて、もう他のことに構う余裕は

なくなっていました。

15時過ぎに母が来てくれた時には、振り向く

余裕もなかったです。


そして、助産師さんが来てまた内診。

子宮口も開いてきてるし、陣痛も良い感じに

きているけど、点滴は17時には止めないと

いけないから、微妙なところと。

でも、このまま止めるのももったいないから、

痛いときに力を入れすぎないで、と言われた

気がします。


この辺りからは、時間の経過もわからないし、

記憶がちょっと曖昧です。

たぶん、その後にまた助産師さんが来て

今日、産まれそうということになり、

旦那さんに産まれないと言ってしまったので

母からメールで連絡をしてもらいました。

その時は19時頃産まれると言われていた様です。


陣痛はどんどん痛くなり、でも途中でこの痛みを

止められないよなぁ、とか、お腹の赤ちゃん

出さないともう終われないんだよね、とか

よく分からないことを考えていました。


そして、助産師さんの内診がまたあって、

子宮口が8センチになっているから、

LDR(分娩用の個室)に移動しましょう、

となり、痛みの波の合間になんとか移動。

旦那さんから母には17時半頃着くと連絡が

ありましたが、思ったよりも経過が早いから、

ご主人が着く前に産まれちゃうかもと

助産師さんに言われました。

でも、とにかくこの痛みから早く開放

されたくて、それでも良いです、、と答え、

次は絶対に無痛分娩!!と誓いながら、

陣痛との戦い続けたのでした。


(つづく)